対話する真理

技術とは何か? 科学・工学の視点と哲学が問うその本質

Tags: 技術, 科学, 哲学, 工学, 技術哲学

技術の問いかけ:機能か、それとも本質か

私たちの生活は技術に囲まれています。スマートフォン、インターネット、医療機器、交通システム。これらはすべて技術の産物です。研究開発職として、私たちは日々、既存技術の改良や新しい技術の創造に取り組んでいます。技術を「目的を達成するための手段」「問題を解決するツール」として捉え、その機能や効率性、信頼性を追求することが私たちの主要な関心事です。科学は技術の基盤となる法則や原理を提供し、工学はそれを具体的な形に落とし込みます。

しかし、少し立ち止まって考えてみましょう。「技術とは、そもそも何なのでしょうか?」単なる道具の集合体でしょうか。それとも、人間の存在や社会のあり方そのものに深く関わる、より根源的な何かでしょうか。科学・工学的な視点からは見えにくい、技術の本質や、それが人間存在に与える影響について考えることは、技術を「使う」だけでなく、「創る」立場にある私たちにとって、非常に重要な意味を持ちます。

この記事では、技術というテーマについて、科学・工学がどのように捉えるのか、そして哲学がどのように問いを立てるのかを比較検討し、両者の対話から技術に対する多角的な理解を深めることを目指します。

科学・工学が捉える技術:手段としての機能追求

科学・工学の領域では、技術は主に「自然界の原理や法則を利用して、人間の目的のために具体的な効果を生み出すための知識体系、プロセス、およびそれによって作られたもの」と理解されます。物理学、化学、生物学といった基礎科学が発見した真理は、工学的な応用を通じて技術へと結実します。

例えば、電磁気学の法則(科学)が、電力を送る技術や通信技術(工学・技術)を生み出しました。生物学の分子レベルでの理解(科学)が、遺伝子組み換え技術や新しい医薬品開発(工学・技術)につながっています。ここでは、技術は明確な目的を持ち、その目的達成度合いや、機能性、効率性、安全性といった基準で評価されます。数学的なモデル構築、実験による検証、データに基づく評価といった、科学的なアプローチが技術開発のプロセス全体を支えています。

科学・工学の視点における技術の探求は、「どのようにすればより優れた機能を持つ技術を創れるか」「どのようにすれば目的を効率的かつ確実に達成できるか」という問いに焦点を当てます。これは、真理を「自然界の客観的な法則」として捉え、それを応用可能な形で理解・操作することを目指す科学の姿勢と深く結びついています。

哲学が問う技術:本質と人間存在への影響

一方、哲学は技術を単なる道具や手段としてだけでなく、人間の存在様式や世界のあり方そのものに深く関わるものとして捉え、より根源的な問いを投げかけます。哲学史においては、人間を「道具を作る動物」(ホモ・ファーベル)と定義することもありましたが、現代の技術哲学はさらに踏み込んで、技術が人間存在や社会構造そのものをどのように変容させるかに注目します。

例えば、マルティン・ハイデガーは、現代技術の本質を「エンシュテルング(集立)」と呼び、自然を資源として「立て出す」あり方として捉えました。これは、自然を単なる利用可能な素材として見なし、計算可能で管理可能なものに変えてしまう現代技術の根源的な姿勢を批判的に分析したものです。ここでは技術は、人間が世界と関わる様式そのものを規定する力として現れます。

また、ジャック・エリウルは、技術が自律的に発展し、人間や社会全体を効率化と合理性のシステムの中に組み込んでいく「技術的支配」を論じました。ドナ・ハラウェイは、人間と技術、自然が複雑に絡み合ったサイボーグ的な存在や関係性を提示し、従来の人間中心的な技術観を問い直しました。

哲学的な問いは、「技術の本質とは何か」「技術は人間を解放するのか、それとも支配するのか」「技術は善なのか悪なのか」「技術は私たちの認識や倫理観をどのように変えるのか」といったものです。これらは、科学・工学が「what」「how」を問うのに対し、「what is」「should we」「what does it mean」といった問いを投げかけます。真理を、単なる客観的な法則だけでなく、人間の意味世界や価値観、存在のあり方に関わるものとして探求する哲学の姿勢がここに現れています。

哲学と科学・工学の対話:技術への多角的な視点

科学・工学は技術の可能性を広げ、その実効性を高めます。哲学は、その技術がもたらす影響や、技術そのものの意味について問い直します。この両者の間には、興味深いつながりと対話があります。

科学・工学の発見や進歩は、しばしば哲学的な問いを新たに生み出します。例えば、人工知能(AI)の発展は、科学・工学的にはより高度なアルゴリズムや計算能力の追求として進められますが、それが「知能とは何か」「意識を持つ可能性はあるのか」「AIに権利や責任は生じるのか」といった哲学的な問いを強く促しています。科学はAIの機能や能力を記述・予測し、哲学はAIの存在論的・倫理的な側面を考察するのです。

逆に、哲学的な洞察が科学技術の方向性に影響を与えることもあります。技術がもたらす倫理的な問題(例:ゲノム編集、プライバシー、自動運転の事故責任など)に対する哲学的な議論は、技術開発のガイドラインや社会的な受容性を考える上で不可欠です。科学・工学が「できること」を追求するのに対し、哲学は「すべきこと」「すべきでないこと」あるいは「それが人間や社会にとってどのような意味を持つか」という視点を提供し、技術のあり方に対する批判的な視座をもたらします。

現代において、技術開発は単に機能性や効率性だけを追求すれば良いわけではありません。研究開発職として、私たちは自身が創り出す技術が社会にどのような影響を与えるのか、それが人間の尊厳や価値とどのように関わるのかといった、哲学的な問いにも向き合う必要があります。科学・工学的な専門知識に加え、技術に対する哲学的な洞察を持つことは、より人間的で持続可能な技術の未来を築く上で、極めて重要であると言えるでしょう。

結論:技術を深く理解するために

技術は、科学・工学の知識を応用した手段であり、その機能や効率性を追求することで社会を便利にしてきました。しかし、技術は単なる道具に留まらず、私たちの存在様式や社会構造そのものを変容させる力を持っています。

科学・工学は技術の「どのように」と「何のために」を、哲学は技術の「本質」と「それが人間や社会にとって何を意味するか」を問います。この二つのアプローチは対立するものではなく、むしろ相互に補完し合う関係にあります。科学・工学が技術の可能性を広げるほど、哲学的な問いの重要性は増していきます。そして、哲学的な問いへの応答を通じて、私たちは技術の真の意義や限界を理解し、その発展の方向性を見定めることができます。

技術開発に携わる私たちにとって、自身の専門分野における科学・工学的な知見を深めることはもちろん重要です。しかし同時に、技術そのものに対する哲学的な問いに向き合い、それが人間や社会に与える影響について深く考察することもまた、欠かせない営みです。科学と哲学の対話を通じて技術を多角的に理解することが、自身の研究活動に新たな視点をもたらし、より良い技術、より良い未来を創造する力となるのではないでしょうか。